武道への思い
私は最近、戦後民主主義の間違った教育を受けてきた者としての実感が強烈につのって来ております。それに気づく事が出来たのは、当然日本武道としての空手道を親しく長くやってきたお陰でありますが、特に大学空手では束縛の中にしか自由はないとの考え方を体に叩きこまれた事により、未だにタブー化されている戦前の教育の禁欲的特質の忍耐、努力、勤勉という徳目は私の中では全然矛盾しない物として納得出来る事が日本人の血としての道統を知る絶好の機会であったと思います。
現在、世の中は自分への我慢、節度のない他人への注文、苦情ばかりの勝手な自由、人権を主張する風潮はどこかおかしいとの声や指摘が各方面から出始めてますが、これは未だに50年前のアングロサクソンアメリカGHQのマインドコントロール統制が解けていない日本国の無明長夜の状況を示していると思います。
乾いた合理主義、偏向教育、左翼メディアが主流の状況はもう沢山であります。
私達日本人には昔から上質の文化と伝統、加えて恥を知る生き方がありました、例えば万葉集の『葦原の瑞穂の国は神ながら言挙せぬ国』これは、古来から日本は大切なことは、特に取り立てて言葉にすることを嫌う習慣を示していますが、同時に日本人の謙虚さの原点がこの辺りなのかなと思いますが、今はそのような呑気な事を言っていては諸外国の悟識の開けない民族達?と渡り合えない事になりますから我々日本武道を嗜むものは今こそ、すべからく中山正敏首席師範の教えを守り、日本武道の精華としての協会空手のアイデンティティーの確立、又武道全般の復権を果たさなければいけないと思いますので、我々は社会教育としての空手に甘んじながらでも、もっと本腰を入れて武道を普及、浸透させなければならぬ使命を感じているこの頃です。